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広島地方裁判所呉支部 昭和35年(タ)4号 判決 1964年4月06日

原告 A

右訴訟代理人弁護士 西田勝吾

同 原田香留夫

右訴訟復代理人弁護士 阿左美信義

被告 検察官村上三政

被告補助参加人 B

同 C

右両名訴訟代理人弁護士 稲葉正雄

同 合路義樹

主文

一、原告が訴外亡××××(本籍××××××××××××××××)の子であることを認知する。

二、訴訟費用中原告と被告との間に生じた部分は被告、参加によつて生じた部分は補助参加人両名の各負担とする。

事実

≪省略≫

理由

一、≪証拠省略≫を合せ考えると、訴外X(旧姓○○)は、大正三年暮から訴外Yと情交関係を生じ、一ヵ月七、八回位これを継続していたところ、翌大正四年三月頃妊娠し、その後も同年八月頃までその情を通じていたが、その頃YがXを竹原市に残して単身大阪方面に出奔したこと、Xは同年一二月二三日頃訴外Z方で原告を分娩したが、翌大正五年一月一〇日生れとしてその出生届をしたこと、Yは昭和一五年五月頃原告とその養親訴外M夫婦に対し原告は自己の子であつてそれまで放任していたことを謝し、竹原市の自宅に親族等を集めて親子名乗の式を挙げ以後他人に対しても原告のことを自己の娘と呼び、昭和二〇年七月呉市で美容業をしていた原告が戦災を受けて竹原市に疎開してくるようになると、早速同市在住の訴外Fに右事情を告げてその所有家屋(原告の現住家屋)を借り受け、これに大工を入れて家の修理や造作をしたり、営業用鏡を買つて与えたり、更には昭和二二年頃原告のためにわざわざその所有家屋の一棟を住居として使用させる等父親としての愛情を示したことが認められる。他に右認定を左右するに足る証拠はない。

二、被告補助参加人両名は、Xは原告を妊娠した当時Yのほか数名の男と情交関係があつたと主張し、これに副う証人≪中略≫の各証言があるけれども、これらの証言は前掲各証拠に照らしいずれも採用できず、他に補助参加人両名の右主張事実を認めるに足る証拠はない。

右各認定事実にY、その実弟訴外S及びYの実子訴外P、Xと原告のABO式血液型検査の結果、S、Pと原告の指紋検査の結果、Y、S、Pと原告の写真による顔貌相似度検査の結果を総合すると、原告はYとXの間に生れた子と認めるのが相当である。

三、補助参加人両名は、かりに原告が訴外Yの子であつたとしても、原告はYの存命中に認知請求をなし得たにもかかわらず、三〇余年もこれを放置しておきながら、Yが死亡すると直ちにその遺産の分配を要求し、さらにこれが拒否されたからといつて突如本訴を提起したのは権利の乱用であると主張する。しかし、法律上認知の訴は父又は母の死亡の日から三年を経過したときは提起できない(民法七八七条但書)だけで他に何らの制限がないばかりか、前掲≪証拠省略≫の結果を合せ考えると、原告は生後五〇日頃M夫婦にもらわれて養育され、大正六年五月一四日同人夫婦の正式養子となつたものであるが、幼時は右養親を実親と信じ、長じてこれが養親であることを知り、実父はYであるとの噂を耳にするけれども真実は知り得ず、昭和一五年頃親子名乗りをして始めてYが実親であることを知るに至つたこと、その後Yと親子の交際を始めるにいたつたが、養親への気がねがあつたり、又Yが原告を自己の娘として処遇するので特に認知の請求にふみ切れなかつたこと、Yはその友人の訴外Wに対し、娘の原告に対し資産分けをする意思がある旨話していたのに、昭和三四年一二月一九日Yが死亡するや、補助参加人らを含むその遺族が、原告がYの子ではないとして争いだし、原告に対しYの遺産分配を回避するようになつたことが認められ、他に右認定を動かすに足る証拠がない。従つて本訴提起をとらえて権利の乱用とする補助参加人らの右主張は到底採用するを得ない。

四、してみると、原告の本訴請求は理由があるのでこれを認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 池田章 裁判官 大北泉 菅原敏彦)

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